ガン患者の闘病と投資日記

34歳にしてガンを患い闘病中に治療費を稼ぐために株式トレードを始めました。

結婚生活の小休止

人は生まれた瞬間から、死に向かっていると言われます。それと同じように、出会いがあれば、必ず別れがあると言われる。

 

どんなに悲しくとも、その時はいつかくるようだ。悲しみをこれほど痛いと感じたことはないかもしれない。そして、悲しみがこんなにも虚しいものだと感じたこともない・・・と思う。

 

人生は儚い一時の夢だと言う人もいる。

そのくせ人は忘れることのできる生き物だったりもする。

 

時間の経過がこの痛みから解放してくれるよと皆が言ってくれる。でも、その頃に妻の顔を鮮明に思い出さなくなりそうな気がして、時間が経たなければいいのにと思ってしまうから、ややこしい。

 

先日、古くからの友人が通夜の夜に遠方から車を走らせてわざわざ来てくれた。

 

久々に会う彼らとの会話は、ほんの一瞬でも悲しみの中にいることを忘れさせてくれるもので、その力に改めて支えてもらって生きているんだと気付かされら形となった。

 

生前、妻とこんな話をしたことがある。

 

僕たちは「ガン」という、言ってしまえばあからさまな辛さを抱えているから、周りの人たちも「可哀想にね」と優しさをかけてくれるけれど、忘れちゃいけないのは、生きるって楽なことじゃないから、見えないだけでみんな多かれ少なかれ悲しみ、辛さや重荷を抱えているってことだよね。かけてくれた優しさは、そんな見えない悲しみ、辛さや重荷と向き合って余った部分を僕らに使ってくれている。そのことを忘れたらいけないよね。

 

妻はうんうんと言っていた。

 

妻とはたくさん喧嘩をした。

付き合い始めた頃は2週間近く無視される大喧嘩もしたことがある。

結婚式の当日、婚姻届を出す直前まで大げんかをして、式を取りやめるべきか?とまで本気で考えたほど。

 

それでも、一つとして無駄な喧嘩はなくて、必ず喧嘩の熱りが冷めると2人で話し合って何がずれているのか、何が食い違っているのか確認した。時には朝まで。

 

娘ができて、妻は母親になった。

妻は娘ができたら「華」という漢字をつけたいと思っていたと話し、僕は、華やかなだけではなく実を結ぶように菜の花の「菜」をそこに付け加え、「華菜(はな)」と名付けた。

 

華やかであり、実を結ぶ人生を送ってほしい。

 

娘が大きくなるに連れ、妻の笑顔が柔らかくなり、僕に対しての発言のほとんどが娘を守るためのものとなった。

不思議と娘のことで怒られるのは、嫌な気持ちになることが少なかった。

 

 

ある雨の日、電話がなって妻が震えた声で乳がんであることを僕に告げた。

 

とにかく前を向いてやれることをやろう!と言った僕の言葉に、そんなに早く割り切らないと泣きながら電話が切れたのを覚えてる。

 

そこから3年間、本当に多くのことを話して、それまでの結婚生活以上に笑って、泣いた。

人の優しさをこんなにも温かく感じたことはないし、その間、僕も休職をしたため、毎日のように一緒にいる生活が送れた。

 

健康なら顔も見たくない日があっただろうけれど(妻にはあったかもしれないけれど)、毎日その日その日を楽しく過ごすことができた。

 

妻はあまり笑わないくせに、撮りためている番組のほとんどがバラエティで、時間があるとそれを2人で見た。

 

僕のやりたいと思うことに一度もストップをかけず、やりたいようにやりなよと言ってくれた。なんでも試し、合わなきゃ辞めるがモットーなんだという僕の屁理屈に「ふぅーん」とだけ言うあの人が好きだった。

 

2018年8月7日、それまでの2日ほど会話ができなくなった妻が明け方に何かを発した。

 

それで目を覚ました僕は、妻に駆け寄り「どうした?喉乾いたか?」と聞いた。

返事はなく、そこから15分ほどかけて息が小さくなり、妻が旅立った。

 

最後の最後まで妻は僕と一緒にいてくれた。

 

亡くなる3日前、妻とした最後の会話。

「いくちゃん、愛してるよ」

「私も、愛してる。大ちゃんでよかった。」

妻は精一杯体の力を使ってそう言ってくれた。

 

それが最後の会話になるなんて思ってなかった。

 

おかしいと思われるかもしれないけれど、僕はガンになって良かったと思える部分もある。

 

もちろん妻を蝕んだガンを大い憎んでいるけれど、あのかけがえのない時間は、果たしてガンの闘病をしていなかったらあったのかな、とも思うのだ。

 

妻とも話していたが、生きる死ぬは僕らでは預かり知らぬこと。でも、生きてるうちに何をするかはそれぞれの裁量に委ねられいる。

 

毎日をただ過ごしてしまいがちな僕も、妻との時間や、自らの体と向き合いながら、そして娘と向き合いながら、その尊さを忘れたらダメだと強く思うようになった。

 

生きることは悲しい。

生きることは辛い。

生きることは苛立つし、

生きることは面倒なことが多い。

抗がん剤のルートを何度も刺されて滅入ることもあるし、

体調が優れなければ気持ちを晴れやかにはならない。

走っている人を羨ましく思ったり、

イライラして娘に眉間のシワを指摘されることもある。

寒暖差にすこぶる弱くなった体が鬱陶しいとも思うし、

美味しいご飯をなんの気も使わずにたらふく食べたい!とよく思う。

 

うん、不満が多い。

 

 

でも、ふと目線をあげると、

生きるからこそ見える風景や、

生けるからこそ生まれる喜び、

生かしてもらっていると感じられる優しさ、

そして沢山の笑顔がある。

保育園に迎えに言った時に見れる娘の屈託のない笑顔も、

友達からの「久しぶり、元気?」の連絡も、

友人から送られてくるユーチューブのリンクに載っかったパワーチューンも、

あったかいお茶の美味しさも、

バカな話でに笑って出た涙も、

見えない想いも。

すごく沢山の支えがある。

 

僕の妻から託された使命は、

娘と沢山笑うことなのかもしれない。

 

結婚生活は7年で小休止を迎えた。

きっといつか雲の上でリスタートができると信じている。

 

信じているけれど、まだすぐには行けないよと妻に手を合わせて話をした。

 

まだやりたいことがある。

あなたの知っている飽きっぽい性格故に。

 

愛してるよ。

いつもありがとう。