ガン患者の闘病と投資日記

34歳にしてガンを患い闘病中に治療費を稼ぐために株式トレードを始めました。

オプジーボとクリティカルシンキング

更新頻度がかなり遅いこのブログですが、日々闘病は続いており、その都度思うことは抱えているものの、なかなか「書くぞ!」というメンタルな部分でのパワーが起きずにズルズル……。

 

今年のノーベル賞

 

ノーベル生理学・医学賞受賞を京都大学本庶佑特別教授が受賞され、メディアはこぞってオプジーボ(免疫チェックポイント阻害薬)を取り上げていますね。オプジーボはこれまでその価格の高さが話題になり、政府が値下げに踏み切ったことでも広く知らられた薬だと思います。

 

妻も生前、キイトルーダというオプジーボと同様の薬を投薬したことがありましたが、腫瘍は日に日に大きくなり通常の抗がん剤に切り替えたことを覚えています。

 

このオプジーボやキイトルーダは第4の治療法として今尚研究が進んでいますし、それによって命が救われている方も大勢いらっしゃいます。

 

今回改めて、こうした研究の成果が私を含めた治療中の患者の希望になるのだと感じました。

ありがたい限りです。

 

間違いから学ぶ姿勢

 

その本庶佑特別教授がインタビューの中でよく言われるのが「疑うべき」というものです。

 

本庶佑特別教授の失敗は凡人の私には到底わからないので、スケールはかなり小さくなりますが私が常日頃感じている疑うことの大切さを記したいと思います。

 

私は、これまで本当に多くの失敗をしてきました。むしろ成功の記憶がほとんどないのが正直なところです。

 

しかしながら、同時に大きな挫折もなくこれまでの人生を送ってこれたと感じています。

 

成功もない、失敗だらけなのに、挫折を感じずに送る人生?我ながら支離滅裂だということは理解していますが、残念ながらそれ以外に表現しようがないのです。

 

大切なのはクリティカルシンキング

 

幼少期から現在に至るまで、私は自分で決めたこと、自分の興味のあることだけはとにかく遊びの延長のような形で学んできました。

実際にそれらを「学ぶ」という表現で言い表すとむず痒さを感じるほどです。

 

例えば、大学進学直後から触り始めたAdobeIllustratorPhotoshopというソフトは、デザインの依頼なんか全くなかったにもかかわらず、とにかく街で見かけたかっこいいデザインを超えてやろうと、街に出ては刺激をもらい、帰宅しては夜通しソフトを触り倒しながら少しずつ習得し、そのデザインを友人に見せては、その反応を見て落ち込むことも浮かれることもありました。それでも、とにかく遊びの延長線上にある学びはとにかく楽しく、あれから15年ほどだった今でも活用していたりします。

 

ガンの研究とくれべたら月とスッポンではありますが、独学で好きなことを学んでいくうちに、多角的に物事を見たり考えたりすることが身についたように感じます。というか、失敗の連続なので、前に進むためには多角的に捉えるより他なかったように思います。

 

失敗は次のステップへの大きなヒントとなり得ます。とにかく間違えたポイントから次のステップへのヒントを導き出し、リトライする。それを繰り返すのです。

 

そんな中で、同じ間違いをしている自分に気がつく時があります。

そんな時は、一度元の位置に立ち返り、別の角度やルートはないかと考えてみるのです。

 

 

癌治療にもクリティカルシンキングは必要!

癌治療も同じことが言えると考えています。

癌になった方、闘病中の方ならお分かりだと思いますが、癌に関する市場(ビジネス)は数多あり、本当に研究されているものから、胡散臭いものまで、もう本当になにが正解なのかわからない程にあります。

 

それでも、その情報を有益なものにするためにクリティカルシンキングが必要だと感じています。

 

私は、一つの療法を試す前に、その療法に関する書籍や情報をとにかく集めて良い悪いに関係なく目を通します。

 

すると、自分の中にその療法やな対する考えが芽生え始めます。芽生えた考え方は、数多ある情報の中から、自分なりに有益と感じた部分から得た指針なのですが、そのタイミングで自分の指針を一度疑ってかかります。

 

指針を疑うというのは、その裏付けを探す旅でもあり、自らがその問いに納得できたものだけスタートするようにしています。

 

抗がん剤しかり、食事療法しかり、本当に多くの情報があります。

闘病をしていると、親切な方が他の方によく効いたという療法を教示下さることがあるます。

すごくありがたいことです。

しかしながら、ここで大切なのはその方に効いたものを疑うことだと思います。

 

いただいたアドバイス(スパイス)は自己責任で料理する

自分自身にもその条件は一致するのか?

癌の部位に相違はないか?

何故なぜ何故なぜ?

どうだろうどうだろうどうだろう?

 

「疑う」ことを悪しと考え、「信じる」ことを良しと考える方にお会いしますが、私は得た情報を鵜呑みにしてしまうことほど無責任な事はないと考えています。

 

情報は、毒にもなれば薬にもなります。

 

物事を疑うことは、その本質を見極めようとする探究心からくるものなので、すごく癌治療には欠かせないポイントだと思うのです。